無鄰菴(むりんあん) 山県有朋の京都庭園 

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先週(2008年12月の第2週)、京都の実家に帰り、近所を散歩。
いつものコースで、平安神宮から動物園横の疏水を通り南禅寺へと抜けたのですが、
最近(というより何年か前から)、その道に「無鄰菴」の標識が目につき、
一度行ってみようと思っていたので、立ち寄りました。
 
山県有朋の別荘ですが、一般公開は20年前からということで、道理で
子供の頃には気が付かなかったわけです。
 
長州出身の山県有朋が京都に別荘を持ちたいと思ったということは、
その頃はまだまだ京都も権力者の意識の中にあったのでしょう。
 
琵琶湖疎水の水をわが庭に引き、池泉回遊式の庭園を、自ら設計して、
築庭の名人小川治兵衛に作らせています。余談ながら、この小川治兵衛という人は。
平安神宮や東京の椿山荘の庭等数々の著名な庭を作ったということです。
野村財閥の別邸の庭も作ったということで、それもこの近くにあるので、
野村美術館へ行き、隣にある庭を見せてもらえないかといったところ、
あそこは(野村さんが)住んでいるから駄目だと、言われてしまいました。
 
この無鄰菴の庭は、東山を借景に、コンパクトながら見事な庭で、
母屋と茶室が、うまく溶け込んで、たいへんいい、うるおいのある景色を
見せてくれます。
洋館があって、残念ながら外側は補修中で、外観は見られませんでしたが、
中に入ることができました。
日露戦争開戦前に、ここで、山県有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎が
日本の外交方針を決めた「無鄰菴会議」が開催されたということです。
明治36年、新生日本が意気軒昂なころですね。
 
この近くは、明治時代に作られた琵琶湖疎水、その水を利用した水力発電所、
水運のインクラインがあり、京都の中では、明治の息吹が感じられるところです。
 
 
高岡
 


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