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投稿者: nobuour 投稿日時: 2008-11-26 19:56:49 (2044 ヒット)


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古代甲州道         10/17/2008

古街道研究家と称する人が主催する歴史古道を歩く会に参加してみました。 聖蹟桜ヶ丘を出発点に、明治に作成された1/20000地図で、古代の道を読み解きながら歩くものでした。

「古代甲州道」の言うのはまだ確定されたものではなく、律令国家成立期に国府を結ぶ道として作られたと推測しているもの。
府中(武蔵国府)?聖蹟桜ヶ丘?相模原?津久井湖?大月?甲府盆地?諏訪湖??奈良と想定される道で、最近、徐々にその跡が見つかりだしているそうです。

面白いのは、関東から信州へ抜ける道が、今の甲州街道ルートではなく、相模原を経由して大月へ抜けていること。そしてこの道が、縄文時代の道を引き継いでいると思われること。

縄文時代の道と推定される理由は、縄文時代の遺跡を繋いでゆくとこの道が見えてくることから推定されているそうで、この多摩丘陵だけでも1000箇所以上の縄文遺跡があり、相模原に抜ける大栗川沿い(野猿街道が走っているところ)が特に密集しているそうです。
縄文時代に何故道が?
諏訪の和田峠からの黒曜石・ヒスイと関東の塩・魚介類の交易ルートだったと推定されているようで、多摩丘陵が、関東沿岸の塩&魚の集積地で、山の人との交易場所だったのですね。

この方は、郷土史家というか、在野の歴史家なのでしょう、小さいときから1年中歩き回っているようで、実に何でもよく知っていますね。古い地図を基に歩き回って、そこから昔の姿を見ているのでしょう、体で歴史を感じているよう様子でした。

在野の歴史家であった藤森栄一の「古道」(講談社学術文庫)も、古代の人になった気持ちで書かれたような本で、同じ縄文の古代を扱っても、歴史学者の書く歴史の本に比べ、生きている人の感触が伝わってきて、とても感激したのを覚えていますが、この方にも同じような雰囲気を感じました。

ウォーキングと歴史と両方楽しめて、いい気分でした。次回は鶴川駅から、次々回は高麗駅から、と言うことで、又、歩いてきます。

清水
清水さんはほんとよく歩いてますね。

横山の道はグリーンライブセンタ主催の植物観察会で1回行きました。電車の駅だと小田急多摩線の終点の唐木田が近いようでここから東西につながっているようです。植物観察会でも唐木田から歩きました。
林、池、谷戸とか多摩国際カントリ?の中を通ったりで、植物の好きな人にはいいところです。昔戦車道路といわれ旧軍の戦車の性能テストなどをする道だったそうです。植物観察会は人数が増えたせいか最近は平日になってしまって参加できません。

鈴木


古代の道を歩く会 11/26/2008

最近、「古代の道」を歩く会に参加して、多摩丘陵をよく歩いてます。前々回は、聖蹟桜ヶ丘から乞田川沿いの愛宕あたりまで、
前回は、鶴川駅周辺、そして先日の日曜日は、”さきもりまつり2008”に参加して、国府のあった府中の大国魂神社から、永山付近の”防人見返りの峠”まで歩いてきました。

最後の”見返りの峠”は、多摩丘陵の尾根幹線道路のすぐ隣を走っている尾根道”多摩よこやまの道”でした。(添付)
いい尾根道ですね!
北側に武蔵の国、南に相模の国が見晴らせて、府中から出発した防人たちが、この尾根で武蔵の国に別れをつげる、と言うことで万葉集にもここで歌われた歌が多くあるそうです。

冬のもっと澄んだ日にもう一度、端から端まで歩いてみたいと思いました。真北の晴れた日には、ランドマークとなる日光男体山が見えるそうですね。

清水




わたしも青葉台に住んでました。よこやまの道は町田からちょっと行ったところですね。 昔、柿生あたりは神奈川のチベットと言われてましたが、 尾根はあのあたりを通ってたのでしょうか。

浦田


柿生、鶴川のあたりを歩くと柿の木が多いですね。
たわわに実って、黄葉した木と実の風情もいいですね。
この柿は、”禅寺丸”という種類で、
王禅寺で発見された、日本で最も古い甘柿で、
小ぶりで種が大きが、たいそう甘い柿だと、
郷土歴史家の人が教えてくれました。
最近は、大きくて種の少ない品種に押されて、
市場に出なくなり、こうやって、民家にあるばかりだ、
と嘆いていました。

清水

数日前、柿と便秘の関係を調べてたら、柿の説明がありました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%BF

浦田


甘柿が日本固有の突然変異!とは、知りませんでした。禅寺丸の件も、自慢話かと聞いていましたが、本当だったのですね、・・と言ってもwikipediaだから??

清水

まるで、聖徳太子が実は柿生出身だったような話です。

浦田

古道研究家から聞いた話をもう一つ

多摩丘陵は、縄文時代からの古道が縦横に走った一つの交差路のような場所だったそうで、色々な古道が残っていて、近いところでは、新撰組の土方たちが出稽古に通った道とか・・。

「聖蹟桜ヶ丘」の駅名の由来をご存知ですか?聖跡の名のとおり、かつて明治天皇の行幸があったゆかりの地で名前がつけられたそうです。元々、八王子から町田の方面は、江戸時代から絹の集散地で栄え、明治になってからも鉄道計画までできたのに、錆びれる一方。
理由は、当時多摩地区では直ぐに刀を振り回す新撰組の残党が跋扈し、薩長政権の明治政府としてはアンタッチャブルの状態で多摩地区を避けたため。そこで、多摩地区も安全だということを示すために地元の要望で、明治天皇の行幸が実現したのだそうです。

その頃からの、触らぬものに祟りなしで、”チベット”化したのですかね。

清水


「よこやまの道」を、早速歩いてきました。 2008?11?30

木原です。お世話になります。 ところで、今日は天気が良かったので、今話題が盛り上がっている、「よこやまの道」を、早速、歩いてきました。
モノレールで多摩センタ、そこから小田急で唐木田にゆき、唐木田からのルートで若葉台の駅まで。約2万歩。
尾根道からの眺望もよく、また、防人や鎌倉武士たちが行き交った道と思うとなかかよかったです。

写真をUPロードしました。ここをくりっく

木原



青葉台に住んでた当時、いまのような知識と余裕があれば、サラリーマン生活にもだいぶましだったろうと思います。 せいぜい 時々町田のデパート、こどもの国、向丘遊園地にいってたくらいで、毎日毎日鴨志田にある研究所に通ってて、土地のことは何も知らなかったし、土地の人たちとの交流もなかったですね。研究所に土地を売って守衛等になった人たちが唯一地元との接点だったのでしょうか。 日本最初の甘がき発祥地、新撰組の残党が跋扈、となると充分観光地になりそうな雰囲気ですね。

浦田
とうとう師走を迎えてしまい、気ぜわしい毎日でございます。
お障りなくお過ごし遊ばされますか。ずっとご無沙汰ばかりで申し訳ございません。

横浜のチベットが青葉台とは、聞いておりましたが、それがあの辺りだったなんて、知りませんでした。今では、バッタも飛ばない中途半端な東急タウンになりました。そういえば、子供がよく古墳群に遠足に行ってましたね。

最近、理事会で聞いた話では、家のマンション付近は、鎌倉街道沿いで、ゴミ捨て場のある所が処刑場だった由。娘がよく北の部屋で金縛りになってましたが、感じやすい
他のお宅の方も何人かそうだそうです・・・。感じやすくなくてよかった・・です。

駅前の一番高台がそういう所で、触ると罰があたるとは、以前、聞いた事があって、だから何も建ってないのねと納得してましたが、とうとう開発されつつあります。
知ーらないっと・・・。
            
磯部

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