皆さん第1回の本日は、1番:四萬部寺2番:真福寺4番:金昌寺3番:常泉寺18番:真門寺流石に江戸時代から流行った巡礼道なので、良く整っています。道沿いに民家が植えた梅林があちこち満開でとても良かったです。生憎、花粉症でマスクで完全防備していたので、香りを楽しむことができず!梅の写真を何枚か入れました。それと、SLが走っていたので、パシャ!C58ですよ!秩父鉄道が、前日の3/22から、土日に1往復走らせ始めたところだったそうで、何とも運が良かった!清水
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皆さん4/13の「第2回秩父札所巡り」の写真をULします。あまり面白い写真ではなく申しわかりませんが、記録として。今回は、8ヶ所を一気に回りました。 9番:明智寺 8番:最善寺 6番:ト雲寺 7番:法長寺 5番:語歌堂 10番:大慈寺 11番:常楽寺 12番:野坂寺今回のキーワードは桜になるか?と思っていましたが、今にも雨が降りそうな曇り天気で、冬に戻ったような寒さ・・・。道沿いの家々には色とりどりの花が咲いていたのですが、長閑な春の歩きにはなりませんでした。残念!秩父と言うと、”秩父困民党”ぐらいしか思い浮かばなかったのですが、ここは「和同開珎」の銅が採れただそうで、あんな昔に、こんな所でどうして銅が見つけられたのだろう?・・と色々歩きながら考えてしまった。農耕の始まりは、色々科学的な解明が進み、なるほどと思える起源のモデルがでてきているが、鉱石はどうして発見されのだろう?皆さんご存じですか?清水
皆さん先週に引き続き、第3回へ行って来ました。つまらないお寺の写真になっていますが、記録としてULしました。今回は、6ヶ所。 15番:少林寺 13番:慈眼寺 14番:今宮坊 16番:西光寺 17番:定林寺 19番:龍石寺桜の季節は既に過ぎ、新芽が綺麗な季節になっていました。山は、新芽の白っぽい緑のパッチワークの様で、この時期独特の風景ですね。今回は、町中に近く山が遠いので、良い写真が撮れず、残念。先週気になった、鉱山の起源に関して、図書館で色々調べて見ました。R.J.フォーブスの「古代の技術史」と言う専門書を見つけたのですが、詳細に記述があるのみで、学術書なので、知りたいことに答えてくれない!で、以下、私の勝手な推論・・・今週歩きながら考えたこと:1)1万年前まで古代人は、光り輝く物として金や銀や銅を個人の宝物として、拾っていた。(自然界でそのまま金属として見つかるのは、金、銀、銅であって、鉄は存在しない。)2)農耕が始まり余剰生産物ができ、富の蓄積とともに、権力が生まれ、権力者の宝物への要求が、宝探しでの生業を可能とした。石器時代の加工技術や土器生活での熱処理技術は、金や銅の加工技術となり、飾り物と道具を生んだ。宝物と農耕の道具としての金属製品のニーズは極めて強くなり、鉱物探しは盛んになる。(青銅器時代=ギリシャ神話のアルゴー号の冒険)しかし、金も銅も産地も量も限られており、まだ貴重品であった。3)ヒッタイトで製鉄技術がどの様にして始まったか、まだ解明されていなが、ヒッタイトの滅亡とともに、その秘密が一気に世界中に広がった。広く大量に存在する鉄資源は、ローコストで大量の鉄製品を可能とし、それは強力な武装軍団を生みだし、各国は競って鉄の生産=軍拡競争に乗り出した。その結果、雨が過剰なアジア地区を除き、世界中の森林が切り倒され、山は岩山となった。4)時代区分で割り振ると 石器時代 =金、銀=個人の宝物 青銅器時代=銅=農機具、祝祭器具 鉄器時代=鉄=武器5)秩父での銅発見は、年号を和銅と改名するほどの大事件であり、それほど銅へのニーズが強く、そのことを秩父の田舎の人が知っているほど、大和の権力が秩父にまで及んでいたこと、を示している。つまり、その時代には既に山師が生業として成り立つほどに秩父にも権力と富ができていた、と言うことですね。清水
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昨日の第4回は、生憎の五月の雨でしたが、新緑に溢れていました。今回は、山の麓の6ケ所。 20番:岩之上堂 21番:観音寺 22番:童子堂 23番:音楽寺 24番:法泉寺 25番:久昌寺以上、ULしました。
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第5回秩父札所巡り昨日で札所30番まで巡り、これで駅から手軽に回れる所はほぼ終わり、次回は、途中、バスでショートカットして3ヶ所回り、最終回は一日かけて1ヶ所往復して、最後の34番へ行き、完了予定。江戸巡礼古道や秩父ハイキングコースを繋いで歩き回る企画ですが、昨日は、秩父もだいぶ山深い雰囲気が出てきました。26番:円融寺?奥の院(岩井堂)27番:大渕寺28番:橋立堂29番:長泉院30番:法雲寺清水
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